2025年7月17日に開催されたセッションの内容を記事にまとめました。非常に示唆を含む内容でした。
ご興味のある方はMyData Japanに参加されるか、来年のConferenceに参加を検討いただければ良いと思います。
参加した者としては、現在の日本におけるMyDataの位置と将来的な展望を参考にできた素晴らしいカンファレンスでした。
このセッションではDID/VCの日本における実証実験がどこまで進んでいるのかということと、ヨーロッパも含めて今進んでいる状況と今後の実装に向けた予測などをされていました。カナダなどでは、もうすでに金融業界で実装され上手く進んでいる部分もあるようです。来年は一気にヨーロッパで実施されると見ると日本もそろそろ動く必要があるのではと思います。
DID/VCの社会実装に向けた取り組みとは?〜未来のアイデンティティ管理をリードする4人の専門家が語る現在地と課題〜
デジタル社会の基盤となる次世代のアイデンティティ管理技術、DID(分散型ID)とVC(検証可能なクレデンシャル)について、各業界の第一線で活躍する専門家たちがその現在地、課題、そして未来を語り合いました。
本記事では、このセッションの内容を可能な限り詳細にレポートします。Vess Labs、アビームコンサルティング、NEC、そしてトヨタ・ブロックチェーン・ラボ。それぞれの立場から語られる具体的な取り組みや鋭い洞察から、DID/VCの社会実装へのリアルな道のりが見えてきます。
【登壇者】
- 藤森 侃太郎 氏(株式会社Vess Labs 代表取締役社長)
- 森 大輔 氏(アビームコンサルティング株式会社 P&T Digitalユニット デジタルアイデンティティ・セキュリティグループ シニアマネージャー)
- 岸本 隆平 氏(トヨタ・ブロックチェーン・ラボ 主査)
- 樋口 雄哉 氏(日本電気株式会社(NEC) AI&デジタル事業開発本部 シニアプロフェッショナル)※モデレーター
1. なぜ今、DID/VCなのか? Vess Labsが描く技術トレンドと実装例
最初に登壇したVess Labsの藤森氏は、DID/VC技術が世界的に注目される背景と、同社の具体的な取り組みを紹介しました。
世界的なトレンドと技術の進化
藤森氏は、DID/VCが盛り上がっている背景として、以下のグローバルな動きを挙げました。
- EUのeIDAS 2.0: 2026年にもEU全市民にデジタルIDウォレットが配布される計画。これがDID/VC技術の普及を大きく後押ししています。
- 国際標準化の進展: OIDF(OpenID Foundation)などで国際的な標準仕様の最終調整が進んでおり、技術的な土台が固まりつつあります。
- Appleウォレットへのマイナンバーカード搭載: 日本でも、iOSの標準ウォレットにマイナンバーカードが統合される動きがあり、デジタルアイデンティティがより身近な存在になろうとしています。
- AIエージェントとの連携: 将来的にAIエージェントが個人の代理として活動する際、そのAIが「誰の代理」で「何を許可されているのか」を証明する手段として、DID/VCが不可欠になると予測されています。
具体的な実証実験
Vess Labsは、これらの技術を活用し、様々な実証実験を手掛けています。
- DADC(DID/VC社会実装コンソーシアム): 金融庁のFinTech実証実験ハブにおいて、技術の相互運用性を検証。
- 国立印刷局との連携: VCを活用した証明書の電子交付システムの構築。
- トヨタ・ブロックチェーン・ラボとの協業: カンファレンス参加者の交流コミュニティ形成や、個人の好みに合わせたコーヒーを販売する自動販売機の実証実験など、ユニークな取り組みも行っています。
藤森氏は、「DID/VCは魔法の杖ではなく、あくまで技術。これをどうビジネスモデルやエコシステムに落とし込むかが重要」と語り、技術先行ではなく、社会的な価値創造に向けた議論の必要性を強調しました。
2. 「社会実装」とは何か? アビームコンサルティングが投じる本質的な問い
続いて、アビームコンサルティングの森氏が登壇。コンサルタントの視点から、DID/VCの概念そのものと「社会実装」という言葉の定義に鋭く切り込みました。
DID/VCの再定義と「言葉の揺れ」
森氏は、DID/VCの基本的な仕組み(発行者・保有者・検証者の3パーティモデル)を解説しつつ、これらの言葉の定義が現実の文脈で「揺れている」「広義化している」点を指摘しました。
- VC: 当初はW3Cの標準仕様を指していましたが、現在ではAppleのmdoc(Mobile Driver’s License Online Communication)など、より広い概念で使われることがあります。
- DID: 「分散型識別子」ですが、必ずしも分散型である必要はなく、「自己主権型アイデンティティ」の文脈で語られることが多いです。
この「言葉の揺れ」は、技術が普及する過程で起こる自然な現象としつつも、「今、どの文脈で話しているのかを意識しないと議論が噛み合わなくなる」と警鐘を鳴らしました。
「社会実装」の現在地は「ダーウィンの海」
森氏は、セッションのテーマである「社会実装」の定義も曖昧であると指摘。
- レベル1: 技術が世の中で使われる
- レベル2: 商品化・サービス化される
- レベル3: 事業化される・マーケットが形成される
- レベル4: 社会に普及する
「現在のDID/VCはレベル2から3への移行期にあるのではないか」と述べ、この過渡期をNIST(アメリカ国立標準技術研究所)が提唱する「ダーウィンの海」というメタファーで表現しました。これは、単に技術的な課題(死の谷)を越えるだけでなく、市場での激しい生存競争を勝ち抜かなければならない厳しい段階であることを示唆しています。
社会実装までの4つのギャップ
森氏は、この「ダーウィンの海」を渡りきるために乗り越えるべきギャップを4つの観点(BLTS)で整理しました。
- Business: 誰が価値を得て、誰がコストを負担するのか?持続可能なビジネスモデルが確立されていない。
- Legal: どのような規制や法的効力が必要か?自主規制と国の法整備の両面での検討が求められる。
- Technology: 実装基準の統一や、ゼロ知識証明などの高度な技術をどう扱うか。
- Society: なぜこの仕組みが社会に受容されるのか?「便利だから」「プライバシーが守られるから」だけでは不十分。
これらの問いは、技術者だけでなく、ビジネス、法律、社会学など多様な視点からの議論が必要であることを浮き彫りにしました。
3. 「本人であること」をどう証明するか? NECの生体認証×DID/VC
モデレーターを務めるNECの樋口氏は、同社が強みとする生体認証技術とDID/VCを組み合わせた具体的な取り組みを紹介しました。
なぜ生体認証と組み合わせるのか?
樋口氏が目指すのは、「目の前の人が、そのVCが示す本人であること」を確実に証明する世界です。そのために、マイナンバーカード等の信頼できる情報源(トラストアンカー)から発行された「顔情報のVC」を個人のスマートフォンに格納し、利用時にスマートフォンの生体認証(顔認証)と組み合わせる仕組みを開発しています。
これにより、物理的なカードが不要になるだけでなく、デジタル空間でのなりすましを強力に防ぐことが可能になります。
空港から万博、日常まで広がるユースケース
NECは、この技術を様々なシーンで実証しています。
- IATA(国際航空運送協会)との連携: 空港でのチェックインや搭乗手続きを顔認証だけで完結させる「シームレス・トラベル」の実証。2030年までの普及を目指しています。
- 大阪・関西万博: 落合陽一氏がプロデュースするパビリオンで、個人の身体情報から生成されたアバター(ミラボディアバター)の本人認証に活用。
- 通学定期券の発行: 大阪モノレールとの実証実験で、マイナンバーカードと顔認証を用いてオンラインで通学証明を行い、定期券を発行する仕組みを検証しました。
- イベントでの不正転売防止: 「推し活」など、熱量の高いコミュニティでのなりすましや不正転売を防ぐ手段としても期待されています。
4. 3年間の苦闘の末に見えたもの。トヨタ・ブロックチェーン・ラボのリアルな現場感
最後に登壇したトヨタ・ブロックチェーン・ラボの岸本氏は、これまでの3年間でDID/VCの社会実装に取り組んできた中でのリアルな苦悩と、そこから得た教訓を赤裸々に語りました。
現場で直面した「社会実装の壁」
岸本氏は、様々な事業者と対話する中で直面した課題を、ユーモアを交えながら「あいうえお作文」風に紹介しました。
- あ:「ID統合が先だから、それが終わったらまた来て」
- い:「今、ウォレットを開発するリソースも予算もないよ」
- う:「うちが儲かるの?いつ成果が出るの?」
- え:「NFTと何が違うの?NFTで配ればいいじゃん」
- お:「(コンソーシアムを提案しても)(お?すみません。頭文字が「お」の文章が忘れてしまいました。)他社と連携する前に、まず自社のデータ基盤を何とかしないと…」
これらの反応は、多くの企業が抱える現実的な課題(既存システムの改修、リソース不足、短期的なROIの追求、トレンド技術との混同、データサイロ)を映し出しています。
教訓:DID/VCは「信頼関係を築くための道具」
この3年間の経験を通じて、岸本氏が得た最も重要な教訓は「DID/VCは、それ自体が目的ではなく、あくまで課題を解決し、信頼関係を築くための道具に過ぎない」ということでした。技術の素晴らしさを語るだけでは人は動かず、相手の課題に寄り添い、共に解決策を探る姿勢が不可欠だと語ります。
今後の戦略:「夢」と「恐怖」の両輪で
今後の推進戦略として、岸本氏は「アメとムチ」、すなわち「嬉しい未来(夢)」と「このままだとまずい未来(恐怖)」の両面からアプローチする必要があると提言しました。
- 夢(アメ): AIエージェントが個人の代理人として最適なサービスを提案してくれる世界など、ワクワクする未来像を提示する。
- 恐怖(ムチ): 不正な証明(勝手証明)が出回り、信頼性が揺らぐなど、何もしなかった場合のリスクを具体的に示す。
この両輪を回すことで、社会実装への機運を高めていけると締めくくりました。
5. パネルディスカッション:社会実装への道筋はどこにあるのか?
各氏のプレゼンを受け、ディスカッションではさらに議論が深まりました。
- ビジネスモデルの不在が最大の課題: 登壇者全員が、エンドユーザーの便益は理解できるものの、「誰がその仕組みのコストを負担するのか」というビジネスモデルが最大の壁であると共感。「情報銀行が直面した課題と似ている」との指摘もありました。
- 「恐怖」が普及のトリガーになる可能性: 森氏が述べた「デジタル空間の治安が悪化する」というシナリオは、セキュリティやコンプライアンスの観点から企業が動かざるを得ない状況を生む可能性があり、これが社会実装のトリガーになり得るとの見方が示されました。
- 技術は「課題解決」のために: 最終的に、DID/VCは技術そのものではなく、「どの課題を解決するのか」という問いから始めるべきであるという点で、登壇者の意見は一致しました。空港の手続き簡素化や不正転売防止など、具体的で切実な課題にフィットさせていくことが、社会実装への着実な一歩となるでしょう。
まとめ
このセッションは、DID/VCという最先端技術が、理想論だけでなく、ビジネス、法律、社会受容性といった泥臭い現実の壁に直面しながらも、着実に社会実装への歩みを進めていることを示してくれました。
「ダーウィンの海」を渡り、新しいデジタル社会の基盤となるためには、技術の可能性という「夢」を語ると同時に、何もしなかった場合の「恐怖」を直視し、具体的な課題解決を通じて一つずつ信頼を積み重ねていく必要があります。この4人の専門家たちの取り組みは、その長くも確かな道のりを照らす、貴重な道しるべと言えるでしょう。今後の彼らの挑戦から目が離せません。

